
自分の作品がコンテストで勝てないのは審査員の見る目が無いからだ。こういう思考、私見ですが、嫌いではないです。審査員は仮にも審査員としてイベントに呼ばれているので基本的には見る目はあります。ただし、事情も色々と絡んできます。スポンサーの意向、コンテストの意義、主催者の狙い、色々なものが複雑に影響して審査はされます。
つまり、簡単に言うと、審査員個人の好み、琴線には触れたけども、色々な事情で落選したというケースはいくらでもあるわけです。筆者も過去CGや音楽の作品の審査をした事がありますが、その時に求めるものとタイミングが合わないことなどザラです。ただ残念なことに、応募した人全員に細かい論評まで出す時間もコストもかけられない。基本的にはどういう評価だったかという情報は応募した側には入ってきません。だからこそ余計に落選した人はモヤモヤするわけです。
さて、コンテストで勝てなかった際に「審査員に見る目がない」という思考に戻りましょう。無いことは無いんですが、合わなかった。決して才能丸ごと全否定ではないと思います。もちろん技術的に足りてない等もあるでしょう。しかし、その怒りのエネルギーを次の創作に向けるという点では面白いエネルギーかなと思うのです。
難しいのですが他責思考自体はよろしくありません。本来であれば「コンテストに勝てなかったのは自分が未熟だったから、もっと研鑽を積まねば」という考えが健全でしょう。でも全力投球した作品が落選、しかも寸評もろくにもらえていない。そんな状況ですぐに綺麗な心で次に向かえるほど大人な人が芸術界隈にどれだけいてるでしょうか(暴論of暴論)。
他人のせいにした負のエネルギーを創作の炎に変えるというパターン、褒められたものでは無いかも知れませんが、どうしても納得がいかない時、それも人間なんだと受け止めて魂を燃やすのもまた創作かと思うのです。
「審査員に見る目がないんだ!」と怒る人を見て、こいつはダメな奴だと私は短絡的には決めつけられないわけです。
